“明日の自分に期待しない、信じ過ぎない。”考え方のすすめ

2020.06.22.柴田


先週は梅雨の晴れ間もあったりで、洗濯物が乾きやすい日があったのでボクはご機嫌です。

どうも。夏があまり好きではないおいかぜ柴田です。

ボクは夏が好きではないのだけれど、唯一洗濯物が乾きやすいという意味だけでは夏が好きです。
夏早く来い!洗濯物早く乾け!

とはいえの、ここ酷暑京都。最近の梅雨の暑さと湿度にやられています。
まだ寝苦しいというほどの暑さではありませんが湿度がねぇ。

ボクはいま40代前半、まだまだ元気だと思っているし、実際体力はある方なのですが、つい先日我が家の4人の子どもたち(11歳男子、8歳女子、7歳女子、5歳女子)の、学校や保育園から帰ってきてから寝るまでのハイテンションとはしゃぎっぷりを目の当たりにして「あぁ。無尽蔵の体力とはこのことだな。」と感じ、自分の衰えを認めるつもりはさらさらなくても(頑固)、なんか歳取ったなぁなんて思わざるを得ないわけです。

人はどこかの年齢をピークに、体力が衰え始めたり気力に陰りが見え始めたりするわけで、年相応の動きをしていかなければならないわけです……
年相応?ん?本当にそうなんでしょうか?

そもそも年相応って言葉ってなんなのでしょう?
年齢っていったって、人によって同じ年齢でも状況や身体や気持ちの状態は違います。
ボクと同じ40代で小学生並みの無尽蔵の体力を持った超人みたいな人はいるかもしれないし、はたまた全然体力が無くって…なんて人だってもちろんいるわけです。
もしかしたら年相応ってのは年齢に相応しいという幻想に逃げ込むおっさんの言い訳なのかもしれない。

特に最近は年齢を感じさせない、おっさんやおばさま(失礼!)たちがたくさんいらっしゃるわけで、みなさんいつまでも若々しいファッションに身を包み、青春を謳歌し続けるかの如く、人生を楽しんでいらっしゃいます。

でもこと体力やパフォーマンスやリソースの話になったとき「年取りましたよねぇ。そろそろ年相応にやっていかなきゃ。」なんて話になります。

ん?やっぱり何かおかしい気がしませんか?

そこで自分自身もそんな言葉に逃げ込みかねない1人のおっさんとして、年相応って言葉と真剣に向き合って考えてみたのです。

人間というのは、自分の体力やパフォーマンスやリソースを過信しがちな生き物です。
とボクは思っています。
頭で考えてロジックで自分の体力やパフォーマンスやリソースを換算してみて「お。割といけるんじゃないかな。」なんて、すぐ調子に乗っちゃいます。
これって40代になって始まったことなんでしょうか?

いえいえ。たぶん違いますよね。
たぶんボクは10代の頃だってそうだった気がする。
10代は10代の、20代は20代の、30代は30代の「リソースの換算ミスで調子乗っちゃいました事案」があったはずです。

さあさあ。そろそろ学んでもいいのかもしれないと思う今日この頃、ボクが伝えたいのは、この言葉です。

明日の自分に期待しない、信じ過ぎない。

これはボクが仕事をするうえで生活をしていくうえで大事にしている言葉の一つです。
明日の自分に期待して、信じ過ぎてしまって、いろんなことを後回しにしてスケジュールやリソースを圧迫してしまった数々の失敗たち。
誰しも、そんな失敗たちにはもう二度と出会いたいくないわけです。

ボクが言いたいことはシンプルで、40代になったから年相応の動きを身につけようってことではなくて、今の自分のパフォーマンスの総量を知ろうってこと、今の自分相応の動きを身につけようってことなのです。


以前ボクが書いたこのエントリー
ドラゴンボールの孫悟空が人造人間セルとの闘いで見せた「能力の発揮」の本質の話の言い換えみたいなことなのです。(もしお時間あればこちらのエントリーもぜひお読みください!)

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「能力の発揮」が「下がる」または「低くなる」可能性を意識し、「ベースの力を上げることによっての能力の発揮の総和をアップさせる」ために日々の弛まぬ努力、ルーティーンと習慣をつくること。
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要約するとこんな感じです。

このことが「能力の発揮」の実践編だとしたら、それを支える精神性が「明日の自分に期待しない、信じ過ぎない。」ことだと思っています。

ボクには「明日の自分に期待しない、信じ過ぎない。」って言い回しがちょうどいい。
何があるか分からないから先回りしておこう。」っていうニュアンスで、捉え方によってはネガティブで少しブレーキをかけているように感じるかもしれないけれど「この仕事は明日でいいかなぁ」ってなって後回しにすることの方が俯瞰して見たらブレーキで、むしろ明日のリソース確保のために今日がんばることは、全力でアクセル踏んでるぞ!ってイメージなのです。

でも人によっては、これじゃちょっとしっくりこないなぁってなるかもしれない。
そんなときはこんな言葉に言い換えてみてください。

今を生きる、この一瞬を大切にする。

ほら。急にポジティブな感じがしますよね。
全力でアクセル踏んでるぞ!って感じしませんか?
でも“明日の自分に期待しない、信じ過ぎない。”って言葉と伝えたいことは同じ。

こんな時代、明日自分がどうなるかなんてわからない。
それは誰しもに等しく与えられた事実。
それをどう捉えるかはその人次第ですが、“今を生きる、この一瞬を大切にする。”って考えるとちょっと重たいときってありませんか?そんなときはボクが大事にしている“明日の自分に期待しない、信じ過ぎない。”という言葉がみなさんの”おいかぜ“になるかもしれません。

つまり、まとめるとこういうこと。

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「能力の発揮の総和アップ」のための
・実践編 → 日々弛まぬ努力すること、ルーティーンと習慣をつくること
・精神性 → 明日の自分に期待しない、信じ過ぎないこと。(つまり今を生きる、この一瞬を大切にすること。)
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どうでしょう?ちょっと課題が手元にある感じがしませんか?

「あぁ。今日はやる気が出ないから明日やるかぁ。」ってなったときはぜひ”明日の自分に期待しない、信じ過ぎない。”って言葉を呪文みたいに唱えてみてください。

(noteでの記事はこちらから)